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くすり百話 (第20回)H 13.3.6
第29話 四大配置家庭薬の起こり (3)奈良のクスリ
第30話 四大配置家庭薬の起こり(4)滋賀のクスリ
薬匙 第29話 
奈良のクスリの起こり<大和のクスリ>
古寺院の施薬、頒薬で育まれた薬
 日本の名薬  陀羅尼助.奇応丸 ◆
    日本最初の売薬 ◇
飛鳥時代山伏の薬として創製され
日本最初の売薬と言われる陀羅尼助
唐招提寺鑑真和尚が伝えた奇効丸、
東大寺に伝えられた奇応丸
西大寺の豊心丹ほか奈良県には
寺院の施薬、頒薬の古い歴史がある。

---------------|今も有名な森野薬草園|------------
徳川将軍吉宗の時代、幕府の採薬使に随行して
薬草採集旅行を行った森野藤助が造った森野薬草園
ほか数カ所の薬用植物園が設けられた。
この森野薬草園は、薬草園と生薬の生産も
今日まで続き、全国に知られている。

---------------|大和(やまと)薬の発展|-------------

こうして原料の豊富さと寺院などで育まれ、色々の合薬が
民間に家庭薬として受け継ぎ、温存されて江戸時代に入った。
奈良の薬は、大和の薬と呼ばれて広く知られるようになった。

江戸時代中期には「呼立売薬(よびたてばいやく)」と称し、
露店、または大道で効能を呼び立てるものと、「御免薬」
と称し、奉行の許可を得て点舗出で製薬・販売し、また
「置き薬」として配置行商(配置家庭薬)を行う二つの
形態が成立していた。
奈良県には、現在、約100社の製薬メーカーがあり、配置家
庭薬、薬局向け薬、病院向け薬の生産が盛んである。

配置家庭薬は富山県に次ぐ生産県である。

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くすり百話 (第20回)H 13.3.6
第30話 四大配置家庭薬の起こり(4)滋賀のクスリ
第30話 
滋賀のクスリの起こり<甲賀・日野のクスリ>
甲賀忍者起源説もある
薬草で知られる日本の名山伊吹山

◇古来、盛んな薬用植物の採集・活用◇

天智天皇が近江の国に都を移された時、薬猟をされた記録。
織田信長が伊吹山山麓に薬草園を開き、宣教師により西洋
の薬草が植裁されるなど、滋賀県は医薬原料に恵まれ、
かつ、隣接京都の漢方の知識が加わり、
この知識が製薬・販売へと引き継がれた。
-------------| 社寺の加担 |---------------------
この流れのほか、社寺の僧侶、神官などの力量も加わり、
売薬の形態が徐々に完成するとともに、社寺関係の通行
手形により広く商業圏を広めていった。
-------------| 甲賀売薬 |-----------------------
甲賀武士(甲賀忍者)起源説薬僧起源説とがあるが、多
賀神社、朝熊神社、祇園神社の神符の配布がそれぞれ薬僧
の手によって行われ、同時に「新教はら薬」「万金丹」など
製造、頒布が行われた。

明治17年社寺配札禁止令とともに転業者も加わり、売薬業
者が増え、甲賀町、甲南町は配置家庭薬をはじめとする製
薬が盛んな地域となった。
-------------| 日野売薬 |-----------------------
日野町は古来、商人の町と呼ばれ、呉服、漆器の
行商が盛んであった。 元禄年間、万病感応丸
生産が始まり、享保年間には、商売の上手さも加
わり配置売薬の型が整っていたといわれる。
-------------| 新しい湖南地域 |------------------
近年では、琵琶湖南部地域に外資系など多くの
製薬工場が進出して、新しい製薬産地が生じ、
医薬品、化粧品の生産が盛んとなっている。滋賀
県の医薬品生産年額は、2,000億円を超えている。

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