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くすり百話  (第5回)  H 11.9.13
第9話 薬剤師名称の由来
第10話 重陽の節句と薬草
[第9話]
薬剤師名称由来

薬剤師と云う名称がどこで、どのようにして付けられたかご存じですか。

明治二十年前後、薬品営業並薬品取扱規則(薬律)の公布が検討されてい
る時に遡る。名付け親は、柴田承桂さん。柴田さんは化学と漢学は日本随
一、また、日本にある和訳薬学書の元は全て訳されたといわれる程の人。

明治二十一年の春頃の或る日、柴田さんに、丹羽藤吉郎さんが呼ばれた
丹羽さんは佐賀県出身で、薬学の興隆と日本薬剤師会長を永く務め薬剤師
の地位確保に心血を注がれたがよばれたことで知られた人です。____

「今日、君に来てもらったのはほかでもない、実は極秘密の事だが今度内務
省で薬品取扱規則を作って、今度の議会の協賛を得て公布する事になっ た。
その原案は僕が一任して作る事になったが、君に相談したい事は、名称だが
何と付けたらよかろう」と云う話であった。______________ 

内務省の意向は、「薬剤師と云うのがよかろうと云うので柴田氏の発案で、内
務省衛生局長も既に賛成して、内務省では大体薬剤師と云う事に決定している」
と云うことであった。________________________

丹羽さんは、どうも薬剤師と云うのは長すぎる。一方が医師と云うのだから、そ
れに対応した名前でなければ困る。薬師としてくれと申し込んだ。_____

柴田さんの言われるには、実は、内務省でも種々名称が出た。しかし、結局、
薬師と薬剤師の二つになったが、この薬師と云う名称に反対が出た。_____

その反対理由は、「薬師と云う名称は何だか仏くさい。薬師さんと云えば薬師如
来か、薬屋かわからない。そんな仏くさい名称は面白くをいと云うので薬剤師とし
た。」と云うのであった。______________________

「薬剤師」と云う名称の名付けられるまでには、こんな経緯がありました。


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第10話
重陽の節句と薬草

旧暦9月9日(今年の新暦では10月17日)は
重陽の節句(節供)。菊の節句とも称される。
人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5
日)、七夕の節句などと共に五節句の一つ

この日は、宮中では、重陽の宴、菊花の宴などと呼ばれる
宴が催されて祝った。
日本には、中国から伝わり、飛鳥時代には、菊の宴が行われ、
平安時代には祝いが恒例となった。
江戸時代には、幕府はこの日
を菊重の節句と称し、諸大名以下が登城して祝い、台所では延寿のな
らいとしてお祝いの盃に黄菊の花弁を浮かて飲んだ。また、

民間でも、同様に、この日を祝って、菊酒を飲み、栗飯を食べた。


中国では、奇数は陽の数とされ、陽数の最も多い9が重なる重陽
9月9日はめでたい日とされ、

菊は延寿の効果があると信じ、
重陽の節句には、高い丘に登り、菊の花を浮かべて酒を飲んで邪気を払い、
不老長寿を願った

節句は節日のことで、年間の折り目となる季節の変わり目を祝う
年中行事をいう。

この頃は菊花の時期であるところから菊の節句といわれるが、
菊の花は中国、日本で鎮痛、消炎ほかに使われ、

中国では「菊花を食べると、白髪にならない」といい、
古代中国では、百日間、陰干しにして粉末
にし、白松脂で固めたものを不老長寿薬とした。また、
不老長寿の伝説がいくつもある。


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