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くすり百話 (第30回)
第44話 佐賀・江戸の名薬C烏犀圓
第44話
佐賀・江戸の名薬C野中烏犀圓(のなかうさいえん)
◆野中烏犀圓の特色◆
 佐賀藩が製造・販売の特権を1店舗に与え今日まで
継続してきた歴史的医薬品
◆野中烏犀圓の経緯◆
 天明4年、大飢饉が生じた。その折り、佐賀藩主鍋島治茂公は、
5人の他藩者に薬を作らせたが、その中の一人が隠密と
疑われたため、他国者の製薬、売薬を禁じた。
その後、佐賀藩医上村春庵、久保三圭、西岡俊益の願いにより、
藩主は藩民のためを思い、寛政8年(1796)、藩医の推す
「烏犀圓」の一手製造、販売の特権を佐賀市材木町
の野中忠兵衛に与えて製薬を許した。
当時の屋号は「松養軒」であった。
これが、「野中烏犀圓」として今日のウサイエン製薬株式会社
まで、200年以上にわたって引き継がれているものである。
 
◆ 由 来 ◆
野中烏犀圓の薬としての由来は、中国、宗時代の1,106年に編纂
された中国の国定処方集ともいうべき「太平恵民和剤局方」に
収載されている「烏犀圓」であるとされる。

「太平恵民和剤局方」の「烏犀圓」は、竜脳、人参、細辛、虎骨、
陳皮、防風、当帰など58種の生薬が配合され、中風、小児疳、
脊髄麻痺、痔病、婦人病、腎臓病、鎮静などの薬である。
烏犀圓は、熊本、福岡、加賀の諸藩でも製造・販売されたが、それ
ぞれに土地柄にあった方向に編方され変わっていった。
佐賀では、毒性がある附子、水銀、朱砂ほか数種が除かれ、強
壮薬として充実した。一方、現在も残る金沢の烏犀圓は、
強心薬として調整された。現在も残る烏犀圓は佐賀と
旧加賀藩の金沢の2箇所となっている。
◆「烏犀圓」パリ万博へ◆
幕末の慶應3年(1867)、佐賀藩はパリの万国博覧会に使節
を派遣したが、野中元右衛門は渡仏し、佐賀の名産品の
有田焼、嬉野茶とともに出品して欧州に名を広めた。
 ◆成分・効能◆
 成分:人参、桂皮、当帰、竜脳、陳皮、防風、白朮、
生姜、かっ香、びゃくし、せんきゅう、蜂蜜
効能:滋養強壮、虚弱体質、肉体疲労、病後の体
力低下、肉体疲労、食欲不振、冷え性、血色不良
疲労回復剤としての野中烏犀圓は、 永年 、
田植え時期の農業者に、一時期は競争馬に、
最近では、スポーツをする人々に愛用されている。

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